旅行の途中で

妹の通う学校の図書館で、
若い男子学生が床に上着をばさっと置いてパソコンを使っていた。
それを見た妹は、アメリカ人のこういうところが嫌。と言っていた。
 
それで思ったのだが、
日本人がモノを床に置くことを嫌がるのは、そこは汚いしモノを置く場所ではないと感じるからだ。まあ日本人なら当然か。
しかしアメリカ人(たまたまその学生だけが、ということはないと思う)は、汚いとかモノを置く場所ではない、なんてことは感じない。
そこにあるのは文化的価値観の違いによる意識の相違。ほとんどの日本人には刷り込まれている『「うち」と「そと」』という感覚がアメリカ人には無い。ということじゃないだろうか。『「うち」と「そと」』ってのはなんていうか「IN」と「OUT」というか、「入」と「出」というか…。『境界線の内側と外側』か。
我が家のことを「うち」というのはもちろん、自分の属する組織は「うちの」会社、うちの学校、自分たち(we)のことは「うちら」だ。日本人には無意識のうちに境界線を引いて、心の休まる世界とそうでない世界とを分けているように思える。
だけどアメリカ人にはその日本的な『「うち」と「そと」』の感覚が無いようだ。例えば、どこにでも土足、どこにでもモノを置く、どこでも飲食する。境界線が無いから、日本的に内側と外側とをを分けることも無い。
しかしそれはもしかしたら、アメリカ全体が「うち」であり、肯定された空間なのかもしれない。

なんて思いつき。考え生煮えのまま放置。