日記が終わるってこと

 飲み会が二日続き、
きのうはだるくって早々に横になった。
今日久しぶりにパソコンを開くと、
菊地成孔の日記が終わっていた。
残念だ。
ここ一年半ぐらいよく見ていた。
信じられないほどの熱量と文章量に圧倒され、
その表現者としての突っ走りっぷりと
忙しすぎる生活に
ちょっとだけ憧れた。
 6年間日記を公開してきたそうだが、
日記はもう書いていないのだろうか。
俺は日記を三年半書きつづけていた。
新潮文庫のマイブックに)
それを休止したのは今年6月一日。
7月になってからははてなダイアリーで書いている。
こぼれていく記憶や思い付きを記録する装置として有効だし、
気持ちを落ち着かせるという効用が
日記にはあると思う。
書かなきゃ書かないで楽、てことも実際あるけど。
日記を終えるという事に意味なんて無い。
いまはそう思う。
でも隠喩としてどうなのか、いろいろ考えてしまうけど。
 村上春樹の言葉を借りるなら、
「すべてはメタファー(隠喩)である。」
だから。
なんて暇人のたわごと。