DVDを借りてきて交響詩篇エウレカセブンというアニメを見ている。
ガンダムエヴァンゲリオンを足したようなアニメ。
アニメを見るのはかなり久しぶりだが結構面白く見続けている。
 
本編終了後に、PS2用ソフトのCMが入るのだが、
その主題歌がFLOWとかってバンドの曲で歌詞がやけに耳に残る。
「世界に映った自分の姿に 失望のかけら見つけるけど〜」
ってサビのフレーズ。
10代の青少年みたいだけど、これ俺じゃん。と思ったり、青いな。
まだそんなとこでひっかかってんのか俺。
詞はこのあと「自分の弱さ〜」と続くみたいだけど、
そんなことはたいしたことではないよね。
自分がよわっちいことなんてとっくに気付いているんだから。
 
 
ガンダムの時代から、いや、その前から
アニメでは少年が巨大ロボットに乗って闘うのが王道になってるけど、
それはどうして?
 

 少年が男になるにはロボットを乗りこなすことが必須なのか?
例えばガンダムでは敵は巨大組織や戦争(少年から見た大人そのもの)であり、少年の力は無力に等しい。
それと闘うには、巨大ロボットという大人の考えた仕組みを使うしかない。
ただ反抗するんじゃなく、大人の仕組み(現実では法律とか組織や経済)を使うことによって、初めて対等になれる。
闘うには巨大ロボットという社会システムの象徴が必須なのだ。
さらに考えれば巨大ロボットとは、巨大な武器であり、ということは男根=男性の象徴である。
少年が父親を超え(倒し)、父になるなんてのは神話から続く定番の物語。
そんなことを考えたけど生煮えだ。
俺にはまだ消化しきれない。少年だから。