田舎に住んでいるので夜に買い物に出かけることがあまりない。
クルマで15分は走らないと店に着かないから。
今夜でかけようかな、もう夜9時だしやっぱりやめとこう。なんて考えているところに、アパートの友人から、ジャスコに買い物に行こう。という誘いがあり
渡りに船と喜んで出かけてきた。
食料品を買い込み、気になっていた週刊ジャンプを立ち読み。
今週号は、
デスノートの最終回だったからだ。
 
 
 
以下ネタバレに気をつけながら書く。
108回目、人の煩悩と同じ数で終わった最終回。
不覚にもちょっと嬉しくなってしまった。
そこには「人間は不完全な存在だ」ということがはっきり表れていたから。中途半端な自分を肯定されたような気分になってしまった。
 
「キラ崇拝者」と呼ばれる人々は、キラ(デスノートの所有者)を神の様にあがめ続ける。キラとは人間の生死を支配できる、主人公の言葉を借りるなら新世界の神だ。
人間は神という絶対的な存在にあこがれる。松田は月に憧れる。それは逆説的に、人間とは絶対的な存在にはなれない、不完全な存在だということだ。人間は完全な存在にはなれないんだよ。
主人公はキラとして神のごとき存在になったが、その瞬間から地位を守ることを意識し始めた。主人公は悪のない世界を作ることを目指してデスノートを使う。そこには確固たる意思と目的があるから感情移入も出来た。だがいつからか自分の地位を守るために
デスノートを使い人間を利用し、殺す。それは自分が目指す新世界にふさわしい行為だろうか?圧倒的な知力を誇っていた月はもうそれにすら気が付かなくなっているのだ。
 
「絶対」になれない人間はどうしたらいいのか?それは相沢やニアのようになることだ。すなわち自分の役割が全体の中の一部であることを認識し見定め、その部分の仕事を出来るだけ実直に行うこと。そしてチームで事にあたることだ。独裁は独善を生む。
そんなことを帰りのクルマの中から今まで考えている。ラストの「キラ様」という台詞が頭に残って消えないからだ。
 
それにしてもデスノートは歴史に残る名作。毎週立ち読んできたが買おうかなとも思う。

 

「権力を持つ者はすべてそれを濫用する傾向がある」(モンテスキュー)と大学のゼミの先生は言っていた。まさに。