「ダヴィンチ・コード」

悪い癖で上映まもなくうとうとしてしまい、モナリザをスクリーン上で見ることが出来なかった。気付いた時にはルーブル美術館を出てクルマで逃げていた。
 オドレイ・トトゥアメリの時にはカフェにいたら嬉しいいかにもキュートな女の子だった。久しぶりに会った彼女はびしっとスーツを着こなす大人の女性に変わっていた。美術鑑賞と数学の問題を解くことが趣味は、いたずらをするなんて考えられないわ!と言う雰囲気。女は化ける。どちらの彼女もすきだけどさ。
 自虐ネタ芸人のヒロシの本を読んだことがあるだろうか?オリエンタルラジオの本は?今が旬の芸人が本を出す。それは明らかに彼らの人気が最大瞬間風速を記録しているのを見越してのことだと思う。売れるときに売れるだけ売る。この映画もきっとそう。原作の起こした風を帆に受けて走る急造船。急ごしらえだからこの映画は原作を読まないと理解できない。おそらく。分厚い原作を2時間半に圧縮するために、余分な薀蓄は圧縮し面倒な謎は削る。キャラの性格は単純に。ジャンレノの刑事は原作を圧縮したひずみを一点で引き受けて、気の毒なほどだった。もしかしたら映画の観客に原作を読んでもらうために内容を薄めてるんじゃないかとすら感じた。だらだらだらと大して盛り上がらないまま急ぎ足。ラストもいつ終わるの?ってかんじ。
 それとも俺が原作を読んでいるからそんな感じ方をするのかもしれない。実際映画は映画だけのより強いメッセージを発していた。それは主人公が口にしていた「大事なのは何を信じるか」という言葉に表れていたように思う。「何を信じるか」=「教会(バチカン)を信じるな」というふうに俺には聞こえた。原作ではそんなことはいっていなかったように記憶しているが。教会は自分らの権威を守るためなら殺人だってためらわないんだ。そう映画は主張する。
 良かったのは、パリに行って観光をした気分になれたことだった。