マンガ喫茶に行ってきた。

数ヶ月ぶりである。
新設されたという1.5畳の座れる個室、
というよりパソコンの有る茶室のような席をあてがわれ、
数時間黙々と読んだ。


 うっかり、浅野いにおソラニン」なんかを読んでしまった。こんなところで読むもんじゃないな。
 軽音楽サークルの卒業生達が、なんでもできる学生気分となんでもやらなきゃな社会人生活との狭間で悩む話。24歳の主人公は、契約社員として働いてはいるが、内心ではバンドで食べていく夢を諦め切れていない。でも、同棲中の彼女とのこともちゃんとしたい。
 昔書店で1巻だけ立ち読みしたんだけど。なんでか通して真剣に読む機会をもたなかった。裏表紙見たら、作者は同い年だった。80年生まれ。どうりで骨身にしみるわけだ。
 理想の自分と現実の自分との間にギャップを感じない人間なんて居るだろうか?「できればやりたくないこと(仕事とか掃除とか)」を避け続けられる人間なんて居るんだろうか?
 絶対いない。
 読んでいるうちに、自分が学生時代の気分をすっかり失ったことに気付いてしまった。もう、夢と現実の間をうとうとと過ごす時期は終わってしまっている。本当に終わってしまったのはおそらく去年の夏。新しい部署に適応しようとしていた時期、そこにあった現実には、理想の入る隙間なんてなかったから。甘酸っぱい自分探しの時間は、学生から社会人、理想の自分から現実に働く自分への狭間、すき間、とにかく「間」だけなんだきっと。「これでいいの?」って迷ってられる時間。自分探しとは迷いのことなんじゃないだろうか。
 迷ってる時間は不安だけど楽しいし、まだって何にでもなれる気がする。でも迷っているあいだは、何にもなれないんだよな(実感)。
 俺は未だ、俺が「こうだったらいいな」と思っていた何者にも成れてはいない。だけど結局、迷いは足踏みなのだ。多少不安な道でも、強く地面を踏みしめて進むしかないんだよな。進めばもっと前が見えるし、振り返れば出発点が遠く小さく見えてくるから。


迷わず行けよ 行けば分かるさ ありがとう
ってアントニオ猪木の詩であったね。大学で学んだことのひとつ。