有って当然だと勝手に思ってるもの

いつも、パソコンを立ち上げると「マインスイーパ」を開く。
暇つぶしに最適のウィンドウズのおまけについてる地雷除去ゲーム。
ネットに接続して、ウィルスソフトが安定するまでの間、日記を書こうとして書きあぐむ間、白い方眼をカチカチカチカチとクリックするのだ。


やり始めた当初は、方眼に空白がだーっと広がるのが面白かったのであるが、上達するにつれてタイムが気になるようになり、それも伸び悩んだ今となっては、ただの惰性、手遊びの慣習となってしまった。コップや陶器を包んでいる透明のプチプチ。あれをつぶす感覚に近い。マウスでカチカチ。
惰性の結果、作業効率は格段に向上。おそらく今までに四畳半くらいの面積は地雷除去したと思われる。いやもっともっとかも。現実の地雷もこの勢いで除去したいくらいだ。





何年か前、運転中の不注意でクルマをぶつけたことがあった。駐車場で、他人の大切なクルマに。その方はたいそう立腹し、正式な謝罪に赴くのが遅れた俺は「常識ないんじゃないか?!」と憤慨された。自分は多少問題があるかもしれないがまあふつうの社会生活を営んでいるし、社会に馴染んでいると思っていたので大変ショックだった。
それ以来「常識ないんじゃないか?!」は自分の中でかなり上級の攻撃呪文として記憶されている。


その台詞が発せられるのは、「自分」の中では当然のものとして存在する知識が「相手」の中に存在しない場合。常識って、誰もがそれを知っているし、知っていて当然だと見なされているから、誰かがそれを知らないとき、どこかそれが無いように思われる場所でしか表面に現れでないものなのだ。
つまり「常識が無い」という形でしか。
「常識」がどういう内容を含んでいてどこまでの内容をカバーしているのかは誰も知らない。皆に聞いて確認したわけじゃないから、本当に知っていて当然のことかどうかなんてわかりっこないのに。


ちょっとしたきっかけでそんなことを考え、「常識」という言葉は人に向けて使う言葉では無いなと改めて思ったのだった。