自分の住むべき場所は?

先週、面接を受けて質疑応答で結構へこまされた。
「君みたいな経歴の人は東京とか、じゃなかったら仙台とか行ったほうがいいんじゃないの?」
そんなことを言われたからだ。
言われなくったって本人も気付いてるんだよ!!


志望した職種は俺の住んでいるところからすぐ近くに位置する
異動がない、地元密着タイプの企業の広告営業職だったのだが。
人事担当のおじさんはその職が地域に根ざした泥臭い仕事だってことを強調してた。
そうすると俺の仕事をやめてからの行動は結構マイナスに映るらしい。
そもそも仕事を辞めてることからしてマイナスなのだが。
やっぱり地元企業って地域に根を張った人間じゃないとダメなのか?



田舎で初対面の年配の人と話すと、
「生まれはどこ?」と出身を問われ、
「○○町のどこの地域?」とさらに掘り下げられ、
「お仕事は?」というのは基本として、
「ご両親は何をなさってる方?ご結婚はされているの?」
というようなところまで聞かれる。
その人の外見とか内面以上に
その人に付いてくるもの、背負っているものを重視する。
地縁や血縁、そういったものを。
若者やよそ者が思っている以上に。


もちろん都会でも仕事や学歴は気にするが、
住んでいる場所なんて、利便性や住みやすさ以上の意味は持つことがないだろう。
自分個人では制御できないしがらみや繋がりなんて持っていないだろう。


そういうものは便利なこともあるけれど、
ときどきひどくわずらわしくなる。
スーパーに買い物に行ったときに同じ会社の人間に会うのがうっとおしいように、
人には放っておいてもらいたいときがある。




だいぶ本題から脱線したけど、
この市において、この県において、
自分はほとんど異邦人である。
客観的にみて、「よそ者、若者、ばか者」と3拍子揃った人間だ。
既に長い時間をかけて構築されたコミュニティのなかに入っていく事は簡単ではないかもしれない。
であるなら、
もともとコミュニティの存在しない場所に入っていく方がはるかに簡単なんじゃないのか。
自分は一旦外に出てきた人間。
東北の、外に出て行きたい人間は既に出て去って行った土地に入っていくよりも、
外に出て行った人間で構成されている土地に入る方がはるかに簡単なんじゃないのか。
そんなことは薄々分かっていたんだけど。
面接で面と向かって言われたりすると、やっぱり心がぐらつく。


自分はこの土地にいるべきではないのか?東京に行ったほうがいいのか?って。