教養は生活の役には立たない

こどもの頃、よく父が図書館に連れて行ってくれてた。
小学生とか中学生になって間もなくとか。
そこでルパンとかホームズとか世界名作系とかを薦められたりして読んでいた。
ただ、父はそれなりに読書家であったはずなのだが(名作全集を読破していた)、
俺に本を差し出してくることはあっても、
この話が面白いとか、主人公が格好良いんだとか、内容について語ることはなかったように思う。
あとから思ったんだが、
父について本というのは絶対必要なものじゃなくて、あくまでレジャーの一つ。
なくても困らない暇つぶしの一つのようなものであったんじゃないか。
なぜなら現在父は全く図書館に行かなくなり、本を読むこともほとんどないからだ。
新聞には必ず目を通すから目が悪くなったからとかそうゆう理由ではないと思う。




現在。
本を読まない友人が何人かいる。
もちろん字が読めないわけではない。
本が大好きで本と係わる事を仕事にしている人もいる。
世の中にはマンガを読まない人も小説を読まない人も新聞を読まない人もいる。
それで悪い事なんてなにもない。
流行の話題についていけないことがある、かもしれない程度の事だ。
小説はほとんど読まないがビジネス書・自己啓発本には目を通す人もいる。
そういう人のほうが仕事に対する意識は高い気がする。


で、自分は昨日やっと気付いた。
小説やエッセイといった非・実用書とでも言うべき書籍。
そういったものは生きるうえでは決して必要ではないってことに。
読むことで他人の気持ちが分かったり、様々な体験を味わった気分にはなれるが。
それはあくまで他人もしくは空想上の体験であり、自分の身体で経験したものではない。
例えるなら、おいしいケーキや薫り高い酒のような嗜好品。
人生を豊かにしてはくれるが、摂取しても人生を生き抜く上で必要な技術や経験にはならない。
人生を構築する血や肉を作るのに必要な必須栄養素はほとんど含まれていないんだ。
自分はずっと、小説やエッセイは人生に必要なものだと信じていた。
世の中の平均くらいには摂取してきたような気がする。
だけどずっと嗜好品と必須栄養素の区別が付いていなかった。
あえてつけていなかったのかもしれない。
もっと言えば生きる事と生活する事=金銭を獲得し自分や周囲を養う事。
も区別しておくべきだったのだ。


日々のニュースや時事問題は毎日の熱となる炭水化物や脂質。
マニュアルやノウハウや参考書は筋肉を作るたんぱく質


今の自分に必要なのは生活する力をつけること。
つまり必須栄養素の摂取。
栄養をつけてから余裕のある範囲で嗜好品をたしなもう。今の時点ではそう考えてしまう。




付け加えるなら、
音楽やゲーム、いわゆる「教養」とされる知識。
それらさえ嗜好品ではないかと思う。
生活を豊かにはしてくれるけど、
生活する事には直接的には役立たないから。


もちろん、音楽や洋服やマンガや小説が好きな自分を否定するつもりは全くないけど。