怖いから歯医者には行かない

太極図

仕事後、歯医者さんに行った。
そして親知らずを抜いてもらった。
仕事終わって帰り際、歯医者に行くことを職場の人たちに話したら
「保険効かないんじゃないか?」「麻酔かけないんじゃないか?」
「大きいペンチで引っこ抜くんじゃないか?」
色々冷やかされて気が重くなった。


親知らずが生えてきたよ 怖いから歯医者には行かない
親知らずが生えてきたよ 誰も知らない間に

チャットモンチー「親知らず」)


歯医者に行ってみるとおじさん先生が
「抜くってことでいいんですよね」とやる気満々。
麻酔をかけてからレントゲン撮影。
順序が逆じゃないか?って不安になる。
ともかく麻酔はかけられた。


しかし、抜く作業はペンチ一本で。
手術と言うよりはくちびるをテコにして引っこ抜く力作業。
口の中で何かがみしみしと音を立て、
苦痛は無いが不安とペンチが自分の顔をゆがめる。
長い時間に感じられたが、おそらく2,3分で親知らずは抜けた。
どんな立派な歯が抜けたんだろうと思ったが、
先生はそれをどこかにやってしまった。
見れずじまいでオペ完了。
あっけなく終わったが、
そのあとテンションがずっと低いのは麻酔が効いているせい?
それとも体の一部が永遠に失われた喪失感から?
鏡で見る口のなかには小さいが大きな穴。
ずっと舌が感じている自分の血の味。




親知らずを失った事で、自分は今後何かを得ることができるのだろうか?
今はまだわからない。






それから、9月16日に書いたことをもう一度考えた。
自分は何が言いたかったのか。


「教える」側と「教わる」側は平等・対等である。
 ↓
「教える」側が逆に「教わる」「学ぶ」ことも、「教わる」側が(そのつもりはなくとも)「教える」「教えてしまう」ことはありえる。
 ↓
ならば「教える」と「教わる」は境界線が無く一部入り混じった状態(太極図みたいな)。
 ↓
だとするなら、「教える」側は「教わる」ような姿勢で「教える」べき。
 (段落の頭に戻って繰り返す)


上に書いたようなのが根本で、
スパルタ式とか飴と鞭とか褒めて伸ばすとかそういうのは技術論なんじゃないかと思ったりした。
「教える」側は「教わる」気構えで「教える」べきだとか
「教わる」側は「教える」つもりで「教わる」くらいでもいいのかなとか。
いかん、まだまだ生煮えだ。